パリは「美しい街」という一言では語れません。
石畳、広場、教会、美術館、カフェ──
それぞれが異なる時代の歴史の層の上に築かれています。
この記事では、フランス史・西洋史を学んでいる視点から、
パリという都市がどのように誕生し、発展し、現在の姿になったのかを、
時代順にわかりやすく解説します。
この記事はこんな方におすすめです。
- パリの街を「背景込み」で理解したい
- 美術館や建築をもっと深く楽しみたい
- フランス革命や中世パリの流れを整理したい
- パリ旅行前に教養として学び直したい
古代|パリの起源は「島」から始まる(〜5世紀)
パリの歴史は、現在のシテ島から始まりました。
ルテティアの誕生
紀元前3世紀頃、セーヌ川の中州にケルト系部族パリシイ族が集落を築きます。
ローマ時代、この街はルテティアと呼ばれました。
ローマ支配のもとで、
- フォルム(広場)
- 公衆浴場
- 円形劇場
が建設されます。
現在のカルチェ・ラタン周辺に、ローマ遺跡が残っているのはこのためです。
中世初期|王と教会の街へ(6〜10世紀)
ローマ帝国崩壊後、パリはフランク王国の重要都市となります。
クローヴィスとパリ
フランク王クローヴィスはパリを拠点とし、この街は王権とキリスト教の結びつきを象徴する場所になります。
中世盛期|学問と信仰の都・パリ(12〜13世紀)
修道院と教会の街
中世初期のパリは、
- 修道院
- 大聖堂
- 学問の場
が集まる宗教都市でした。
ノートルダム大聖堂
12世紀、ゴシック建築の傑作ノートルダム大聖堂の建設が始まります。
これは「神の栄光を都市で表現する」中世的世界観の象徴です。
パリ大学の誕生
同じ頃、パリ大学(ソルボンヌ)が設立。
神学・哲学の中心地として、ヨーロッパ中から学生が集まりました。
現在のカルチェ・ラタンは、この学問都市の名残です。
中世後期|疫病と戦争の影(14〜15世紀)
百年戦争
14世紀、フランスとイギリスの百年戦争が勃発。
パリは一時、イギリス側(ブルゴーニュ派)に支配されます。
黒死病(ペスト)
人口の約3分の1が失われ、街は深刻な打撃を受けました。
この混乱の中で、「王都パリ」は再編されていきます。
近世|王宮と貴族の街(16〜17世紀)
ルーヴル宮殿の変貌
中世の要塞だったルーヴルは、王宮として拡張されていきます。
芸術品が集められ、後のルーヴル美術館の基礎が築かれました。
宗教戦争と王権
16世紀、カトリックとプロテスタントの宗教戦争が激化。
パリはカトリックの拠点として、政治的にも重要な都市となります。
絶対王政|パリからヴェルサイユへ(17〜18世紀)
ヴェルサイユが政治の中心に
太陽王ルイ14世は、王宮をヴェルサイユへ移します。
これにより、パリは政治の中心ではなくなりますが、代わりに文化・商業の都市として発展します。
サロン文化と啓蒙思想
18世紀のパリでは、貴族や知識人のサロンで
啓蒙思想が育まれました。
この思想が、後のフランス革命へとつながります。
フランス革命(18世紀末)
1789年、パリでフランス革命が勃発。
バスティーユ牢獄襲撃
革命の象徴的事件がバスティーユ牢獄襲撃です。
現在のバスティーユ広場は、革命の記憶を刻む場所です。
王宮だったルーヴルは、「国民のための美術館」となりました。
19世紀|近代都市パリの誕生
オスマンによる大改造
ナポレオン3世の命で、オスマン男爵がパリを大改造します。
- 広い大通り
- 統一された建物
- 下水道・公園
現在私たちが見る「美しいパリ」はこの時代の産物です。
20世紀|戦争と占領の記憶
第二次世界大戦
1940年、パリはドイツに占領されます。
街は大きく破壊されなかったものの、レジスタンス活動やユダヤ人迫害という重い記憶を抱えています。
現代のパリ|歴史と共に生きる街
パリは、古代・中世・革命・近代・現代が同時に存在する都市です。
石畳の下にはローマ遺跡、広場には革命の記憶、美術館には王権の名残。
それらを知ることで、パリの街歩きは何倍も深くなります。
まとめ|パリを知ることは、歴史を歩くこと
パリは「観光地」ではなく、生きた歴史そのものです。
歴史を知ることで、一つ一つの建物、通り、広場が語りかけてくるようになります。
次にパリを訪れるときは、ぜひこの歴史を思い出しながら、街を歩いてみてください。
