【教養としての西洋史】ヨーロッパの歴史をかんたんに、わかりやすく解説!

ヨーロッパの歴史って長いですよね。いざ、勉強してみようと思うと、色々な国が登場して流れが掴みにくいです。

この記事では、フランスの大学で西洋史・フランス史を専門に勉強している私が、西洋史の流れを簡単にわかりやすく説明します。

  • 西洋史の勉強をする前に大まかな流れを掴みたい。
  • 教養としてさらっと西洋史を学びたい。
  • 西洋史の本を読む前に、簡単に流れを知りたい。
  • ヨーロッパに旅行に行く前に簡単に西洋史を知っておきたい。

上記のような方に役立つ内容になっています。

今回は前半部分の「古代時代」と「中世ヨーロッパ」について解説します。

それでは、さっそく古代時代から、ヨーロッパの歴史を辿りましょう。

目次

古代ギリシア〜古代ローマ時代(~5世紀)

古代ギリシア時代

紀元前3000年頃、エーゲ海で文明が興ります。エーゲ海の島々で見つかったエーゲ文明は、クレタ文明やミケーネ文明とも呼ばれています。

この時期を起源とする物語が、現在まで語り継がれているイリアスやオデュッセイアですね。


やがて、ギリシアにたくさんの都市国家(ポリス)が誕生します。数あるポリスの中でも覇権を争ったのが、アテネとスパルタです。

約2000年にわたり人類史に大きな影響を与えた古代ギリシア文明。

政治分野では民主主義の発展、学問では哲学、文学、美術など、現代まで続くヨーロッパ社会の礎になっています。

ギリシア文明が繁栄を極めたのも束の間。ポリス間の対立により、古代ギリシア文明は滅亡していきます。

ヘレニズム時代

ギリシア地方の隣にあるマケドニアが力をつけていきます。

この時代の英雄がアレクサンドロス大王。ナポレオンも憧れた英雄の中の英雄。

戦がとても強く、中東を支配し、アジアのインドの辺りまでを制覇します。

アレクサンドロス大王の有名な壁画が、イタリア・ポンペイ遺跡の邸宅に残っています。

アレクサンドロス大王は若くして急死してしまいます。そして、その頃に力をつけてくるのが、古代ローマです。

古代ローマ時代

紀元前8世紀頃に、イタリア半島に古代ローマ文明が誕生しました。

始めは王政だった古代ローマですが、貴族政治を中心にした共和政に移行します。

古代ローマ内では、貴族と平民の対立が激しくなりますが、一方では、この時期にイタリア半島の外にまで領土を広げてローマ帝国を築き始めます。

この頃に活躍したのが、カエサルやポンペイウスです。

その後、アウグストゥスが初代皇帝となり、ローマ帝国を発展させていきます。

五賢帝時代には、「パクス・ロマーナ」と呼ばれる長期的な平和を実現しました。

それでも、広大な領土を統治するのは大変で、コンスタンティヌス帝といった力を持つ皇帝が現れるものの、ローマ帝国は崩壊の道を辿ります。

中世ヨーロッパ(5~15世紀)

ゲルマン民族の移動

東方からフン人が侵入してきたため、西ローマ帝国のあったヨーロッパ一帯にゲルマン人が移動してきました。

混乱の中、西ローマ帝国は476年に滅亡します。そして、ヨーロッパではゲルマン人が部族ごとに小さい国を作りました。

フランク王国の発展

ゲルマン人による小国が乱立するなか、力をつけたのがフランク王国です。

最初の王朝をメロヴィング朝と言います。

最初の王様はクローヴィス。彼は当時少数派だったキリスト教アタナシウス派に改宗し、カトリック教会の後ろ盾を得ることで、力を拡大していきます。

ゲルマン人の多くは キリスト教アリウス派 を信仰していましたが、メロヴィング朝のクローヴィスは 臣従達を引き連れて大人数でアタナシウス派 に改宗しました。

次の王朝がカロリング朝。重要な人物が8世紀に活躍するカール大帝です。

カール大帝は戦が強く、西ヨーロッパに領土を拡大します。現在のフランス・ドイツ・イタリア一帯を支配しました。

西暦800年にローマ教皇は、カール大帝にローマ皇帝の帝冠を授けました。この出来事をカールの戴冠 といいます。カール大帝をローマ皇帝と認めたことで、ローマ帝国が復活したことを意味します。

カール大帝亡き後は、強いリーダーシップを持つ君主が現れず、結局、広大な領土は3つに分裂しました。それが現在のフランス・ドイツ・イタリアの基となっています。

封建社会と荘園制度の発展

中世ヨーロッパの社会で覚えておきたいのは、封建制度と荘園制度の発展です。

封建制度とは、有力者が主君となり、臣下に土地を与えます。その代わりに臣下は主君に忠誠を誓い、軍事面で協力するシステムのことです。

この封建制度によって、皇帝・諸侯・騎士はそれぞれ自分の領土(荘園)を持ちました。各荘園には領主に対して納税や労働の義務を負う農民がいました。彼らのことを「農奴」と言います。

キリスト教世界の発展

もう一つ抑えておきたい中世ヨーロッパの特徴といえば、ローマ・カトリック教会が絶大な権力を持っていたことです。

西ヨーロッパに勢力を拡大したフランク王国を始め、神聖ローマ帝国・フランス王国・イギリス王国・イタリアの都市国家はローマ・カトリック教会と強い関係を持っていました。

キリスト教の聖地エルサレムをイスラム教から奪い返すために、ローマ教皇が中心となり、11世紀には十字軍が結成されました。

封建制度の崩壊と教会権力の低下

フランス王国とイギリス王国による百年戦争、十字軍による聖地エルサレム奪回の失敗、14世紀のペストの流行など、中世ヨーロッパの後半には封建制度の崩壊や教会権力が失墜する出来事が重なりました。

商業の発展による貨幣の浸透、百年戦争による諸侯の戦死、14世紀のペストの流行による人口の減少。これらの要因は封建制度や荘園制度を崩壊させました。

また、十字軍による聖地エルサレム奪回の失敗、14世紀のペストを止められないローマ・カトリック教会は、権力が低下していきました。

中世ヨーロッパ後半の危機により、ヨーロッパは近代へと移り変わっていきます。

近世ヨーロッパ(15~18世紀)

ヨーロッパの近世は、ルネサンス時代や大航海時代から始まり、フランス・イギリスを始めとした西ヨーロッパの王国で王権が強くなり、絶対王政が確立する時期にあたります。

まとめ

古代ギリシア時代から古代ローマ時代を経て、ヨーロッパの源流が出来上がりました。

約1000年続いた中世ヨーロッパでは、封建社会・キリスト教の世界が構築されました。

次の記事では近代ヨーロッパについて解説します。

ヨーロッパの歴史について、もっと詳しく学んでみたいと思った方は、おすすめの本も読んでみてください。

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この記事を書いた人

30代のトリリンガル。フランスの国立大学の歴史学部に在学中。翻訳者と日本語講師もしています。当ブログでは、フランスの旅行・歴史・語学に関する情報を配信しています。海外一人旅歴18年。これまでに30カ国・100都市以上を巡る。フランスは60以上の街や村を訪問。

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